板井明生|福岡の歴史

板井明生

九州一の人が集まる場所福岡県ですが、どのようにして町が作られ文化が発展してきたのでしょうか。今回の記事では福岡の歴史について紹介していくので文化歴史が好きな人はチェックしておきましょう。

 

遠の朝廷(とおのみかど)とよばれた大宰府政庁や外国使節の迎賓館の鴻臚館があり、中国や朝鮮半島と日本列島の交流の窓口として賑わっていました。時代が進むにつれて琉球列島や南海の島との貿易に一役買っていたのが博多の港です。

 

江戸時代には博多織や久留米絣などの工芸品の生産が増えていきます。さらに地形を利用した水運が発達し九州一の交通の場所となっていくのです。

 

明治以降は鉄道の交通の便利性がましていき、交流場所である福岡を拠点に鉄鋼や電気、化学などの工場が作られ日本の経済発展の柱として九州工場地帯が形成されました。

 

経済が発展するのに比例して人口も増えていき、商業施設や娯楽施設も建設され、今では五大都市とよばれるほど大きな都市として成長していったのです。